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民衆を導く自由の女神[https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/a7/Eugène_Delacroix_-_La_liberté_guidant_le_peuple.jpg?uselang=ja]
こんにちは。ゆとり系啓蒙思想家のヨシナオです。久しぶりに勉強をし、学ぶことがとても楽しいことを実感しております。
ロシアで色んなロシア人と関わっていながら、彼らが自分の考えをしっかり持っていることに気づきました。それも、自分の意見としてしっかりと持っております。
韓国人も政治系の意見を結構持っていたりしますが、誰もが同じ意見を言っており国家的な政策なのかなと疑ってしまいます。
日本人はどうでしょう?私が感じる限り、みんな自分の意見を持っておりません。それはとてもよくないことだと感じています。ですから、今日は自分の意見とその「正しさ」について述べます。
まず、自分の意見を持つこと
日本人は常に誰かの助言を求めています。本屋には一番目立つところに自己啓発本が置かれています。いつもベストセラーは自己啓発本です。
人生の答えを自己啓発本の中に求めているのです。
また、僕の周りには親に人生を決めてもらっている人がいます。最近は大学のオープンキャンパスに親と行く人も多いみたいですね。
日本人に「尊敬する人は誰ですか?」と聞くと、「親」と答える人も多いです。親以外の人の意見を聞いたことがないんでしょうね。
でも、それってどうなのでしょう。自分の人生を誰かに決めてもらう。これって生きている意味あるんですかね??そして、自分に与えられた身体や頭脳って誰かに決めてもらわないと働かないのでしょうか?
そんなことないはずです。せっかく与えられた器官です。自分でフルに使いましょう。色んな人と出会って色んな本を読んで映画を観て、たくさん運動すれば自分なりのアイデアって形成されるものです。
そういう自分で経験して意見を形成することを若い人は特に実行すべきです。
正しさは人ぞれぞれ
もう一つ、日本人は自分の意見はあるけど合っているのかわからなくて、しまっておくという人もいます。周りの反応を気にしているのですね。
基本的に日本人は周りと同じだと安心するのです。
でも、人は顔が違うように考えていることも趣味嗜好も違うはずです。
そして何よりも、それぞれの持っている人のそれぞれの意見は「正しい」のです。
例えば、
小学生から英語をやるべきだ!なぜならこれからはグローバル化でどこの国でも通用するコミュニケーション能力が必要だからだ。
小学生から英語を勉強させるべきではない。なぜなら、英語はちゃんと習えば2、3年で習得可能だ。それよりも国語をしっかりやり、日本の名作を読ませるべきだ。
赤と青の意見、両方「正しく」ないですか?どちらも言っていることは正論です。
その上で自分の意見に近い方を選択すればいいのです。僕なら完全に青ですね。
だから、自分の思想を持つことはまったく恥ずかしいことじゃないし、むしろ自分なりの「正しさ」を持っている人は素敵な人です。他の意見ばっかり聞いてるよりもはるかに。
僕は、日本人はもっと遠慮なく自分の意見を自信持って出せるようになった方が良いと思ってます。
普遍的な正しさ
人それぞれみんな「正しさ」を持っております。ただ、「俺の全てが正しいのだエッヘン」となってしまうのは違います。「正しさ」は経験を重ねる中で変容するものです。
ただし、僕が考えるにこの世には普遍的(時代や時空を超える)な正しさというのがあります。それは古典です。
なぜ、二千年以上も前のアリストテレスや孔子などの本が今の時代にも残っているのでしょうか。
それは単純です。人類にとって正しい道を書いているからに違いありません。これはまさに普遍的な正しさです。
僕なんかがいくら声高にこのブログで名言を出したとしても西暦4000年の時代の人まで届くとは微塵たりとも思いません。
そう考えると古典は偉大ですね。人生のことは大体古典を読めばヒントを得られます。その上でそこで得た考えに自分の経験をプラスして自分の思想を築くことがとても大切です。
日本人はもっと自分の意見と自分なりの正しさを追求すべきです。