こんにちは。ゆとり系教育学者のヨシナオです。
稀勢の里優勝の余韻にまだ浸っていますが、稀勢の里の素晴らしさは本人だけでなくご両親の功績もあったからこそ成り立ったという事実も忘れてはいけません。
やはり、「この親にしてこの子供あり」というのはあると思います。
稀に、ダメ親から素晴らしい子供が生まれることもあります。「トンビがタカを生む」と表現されますね。でも、やはり根本は親の思想があってこそだと思います。
子供を立派な人間にすることについて考察してみましょう。
親が一番の手本
人はコミュニケーションなくしては生きていけません。これは、第二次世界大戦下でドイツ軍が捕虜のユダヤ人に対して行った実験からも明らかです。
ご飯を与えるけども、一切会話をしないということをすると実験者である子供が全員死んでしまいましたね。コミュニケーションは生きる上で必須のことなのです。
ただ、問題はどうやって子供と接するかですね。これは中々難しいです。産後鬱や子育てする中での鬱という事例もたくさんあります。子供を育てることは格闘と葛藤の連続です。
でも、やはり大切なことは「子供の一番の手本は親である」ということです。人間誰しも最初は真似から始まりますから、一番身近にいる親が最大の手本なのです。
親がしっかりとした手本になってこそ、子供は育つのです。
親の教養の深さが大事
よく、日本の親たちは子供に期待します。大学も名門大学に行って欲しいし、就職先も一流企業に行って欲しいと考えてます。
ですが、それを望む以前に自分自身はどうなのでしょうか?
自分が名のある大学に行ってないのに、子供に期待するのは間違っているのではないでしょうか。最低限、自分が親としての背中を見せてそこに子供がついてくるという道筋がないとダメです。
自分が果たせなかったことを子供に託すのは間違っています。
親が教養に溢れ、人格もしっかりしてこそ子供もしっかりするのです。
たまに、自分の子供が荒れないように、中学の頃から私立に通わせて悪い連中と絡ませないようにするといった考えを持つ親もいますが完全に間違っています。
しっかりした教養をベースとして子供に思想を注入すれば、周りの環境なんて関係ありません。環境を良くすることに命をかけている親はきっと自分の教養と哲学の深さに自信がないんでしょうね。
揺るぎなき思想をどれだけ自分自身が身につけたのかが大切なのです。
親子で対等な対話をする
では、その教養やら思想を子供に伝えるにはどうすれば良いのでしょうか。
答えは簡単で、子供と対等な立場で対話をすることです。
対等な立場ってなんだろうと思うかもしれませんが、極めてシンプルです。相手をしっかりと尊重し否定をしないことです。
今読んでいる、暉峻淑子氏の『対話する社会へ』という超良本にも書いてあるのですが、ドイツでは中学生とその親が真剣に社会問題について議論をするそうです。
そして、たとえ意見が食い違っても親は絶対に子供に意見を真正面から否定をしないとのことです。
まさに、一人の人間として対等に見ているのです。
一方で日本だと、未だに家父長制の名残がありまして親(特に父親)の意見に従う子供や奥さんが多いとのことです。
これは今の時代、とても残念なことではないでしょうか。激動の時代だからこそ自分の思想を持つことが大切なのに、親の意見をいつまでも仰いでいる子供は、親が死んだ後にどう生きていくのでしょうか。
自分の周りにも「親を裏切ることはできないから親の意見に従う」といった考えを持つ人がいましたが、自分の意見を持つこと=親を裏切ることになるという極めて残念な考えを持っているんだなと呆れた記憶があります。
親子で平等に接することこそ、子供が自立するカギとなるはずです。
ゆとり系ブロガーの場合
さて、私の場合はどうでしょうか。
実は、今だからこそ政治の問題やら生き方などを親とまともに話せるようになりましたが、小さい頃はこのような会話は全くありませんでした。
でも、父親はいつも私が聴く耳を全く持たない中でいろんな偉人の考えを一生懸命語ってくれました。母親は、小さい頃から「本をたくさん読みなさい」と常に私に言い聞かせ、私の意志を無視し図書館で大量の本を借りてきては毎日1冊読ませました。
小学校3、4年の頃は年間に300冊くらいの本を読んでましたね。
今思うと、読書というのも立派な対話なのではないかと思うのです。
本という相手が語ることについて、読み手は立ち止まって考えて自分の意見を練り上げていく。この過程は対人でなくとも十分な対話になりうります。
やはり、自分も親がしっかりと対話の重要性を教えてくれたからこそここまでやってこれたのです。
私もしっかり読書はしましたよ。
ゆとりアレルギーだから
よしなおさんが今時のゆとりくんだと
思い込んでましたがどうやら違ったみたいですね。
ゆりえさん
ありがとうございます。