レールから外れてもいいさ!


こんにちは。ゆとり系ブロガーのヨシナオです。

前回の記事を書きながら、一つ思い浮かんだことがありました。

結局、Facebook等のSNSで結婚報告等を載せている人たちって、「自分はやっとこのステップを通過して一安心だ!」というふうな心情をアピールしたいがために投稿しているのかなということです。

そこには、「人生にはあらかじめ決められたレールがあり、その上を歩む必要がある」という前提があります。

でも、このレールって本当に必要なものでしょうか。

レールの上を歩むだけの人生ならば、自分が生まれてきた意味はないのではないでしょうか。

レールは先人が敷いたもの

まず最初に言いたいのは、人生のレールというものは自分ではなくて自分の前に生きていた先人が敷いたものであるということです。

これ、非常に当たり前なことですが、多くの人が気づいていないことです。

つまり、自分の人生を生きている中での主人公は自分ですが、目の前のことに無我夢中になってしまい、俯瞰した目で物事を捉えることができなくなってしまっているのです。

ですから、「あぁー自分は他の人の生き方をコピーしているだけだなぁー」と気づかないわけです。実際には自分がしている生き方って、何百人以上の人が経験していることであるのです。

「別にそれでいいんだけど!」という人はそれでいいと思います。

でも、人間みんな顔が違うように役割も違います。先人と同じ道を歩いているようじゃまだまだだと思います。

レールから外れたからといって死ぬわけじゃあない

日本人はとりわけ、レールの上をじっくりと歩みたがる民族です。集団行動が基本ですので、集団から外れた行為をとった人はあっという間に批判の対象になります。

だからこそ、多くの人が歩んでいる決まったレールの上を外さないように歩んでいるわけです。

ただ、社会には少なからず馴染まない人も出てくるので、必然的にレールから外れる人もいます。私なんかはその典型ですね。

じゃあ、レールから外れるとどうなるかというと、別にどうもならないんですよ。社会的信用という日本社会でのみ通用する価値観を多少は失うのですが、死ぬわけでもないですしなんともなりません。

普通に生きていくことは可能です。

ただ、これを知らない人が多いんですよ。レールから外れることを皆さんビクビクと、猫に睨まれたネズミのように怯えているわけです。

これは非常に残念なことだと思います。

好きに生きればそれでいい

結局のところ、レールなんか気にせずに好きなことをどんどんやればそれでいいのです。

むしろ、それ以外にはありません。

レールの上を歩いている人のほとんどは、周りの目が気になって仕方ないのだと思われます。でも、それは非常に残念なことです。

周りの人は自分の人生の責任を負ってくれません。むしろ、自分に都合が悪い情報が来るとアレヤコレヤと風潮を吹聴する役目に回る人の方が多いのです。

そんな人々にいちいち、耳を傾けているほど暇じゃあないでしょう。だったら、無視すれば良いのです。無視して自分の好きなように生きればいいだけです。

別に、大学受験に失敗して多浪しようが、大学で留年しようが、正社員を3年以内に辞めようが、そんなのは自由です。

そんなつまずきをしながらも、好きなことをやる方がよっぽど良いと考えてます。

レールの上の人生を歩むということは、みんなと同じなので「取って代わられる」可能性が非常に高いのです。

それって虚しいことです。これからの時代、取って代わられる人の需要はないでしょう。それよりも、自分の好きなことを極めて、自分にしかできないことで生きる方がよっぽど楽しいですし、自分のためにもなります。

だから、一人でも多くの人がレールを外れるような自分にしかできない生き方をして欲しいですね。

 

 


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