6月/休むこと/院

はい。エストニア の大学院に入院中のヨシナオです。残念ながら今日も生きてます。朝起きてから寝るまで辛いです。5月も終わり、一年の半分が過ぎ去ろうとしてます。それと同時に、大学院の半分も終わる。色々考えると絶望ですね。

ただ、振り返るとこっちに来てから絶望しかしていないです。ブログがいい感じに日記になっているのですが、振り返るともうめちゃくちゃ病んでる笑。強烈ですね。ただ、もちろんこれは自分がいけないのです。私はずっと人生は楽しむものだと思ってましたが、何故か前々から目標だった留学を始めてからは人生の絶望が続いてます。今日は少し振り替えつつ、思っていることを書き連ねます。

こっちに来てからずっと辛い

少し振り返ってみれば、このブログも新卒で入社した会社を辞める前に初めて今年で7年目になります。当時はそこそこ病んでいて自分が無能なせいで仕事ができず、周りの人にも恵まれずやり返すことも見返すこともできずに逃げるように会社を辞めたのでした。そんで、前から抱いていた海外に住みたいという漠然とした理想郷を追い求めるような目標を持ち、そこまでの過程と実際に海外に暮らした感じを書くためにブログを立ち上げたのでした。そして、6年くらい経ってなんとかお金も最低限貯めてから、待ちに待った念願の海外大学院に来ているのですが、院に入った瞬間からこれまでずっと辛いです。幸い、お友達はできて結構色々誘ってもらったりするのですが、元来できない英語や全く思考力がないオツムのせいで、授業が全く理解できないのと何を書けば良いのかもわからず、ずっと日々を過ごしてます。

最初の秋学期にもうダメだと思ったのですが、翻訳サイトや日本語の論文を訳したりしながらペーパー類を提出して春学期に進みました。春学期は授業も一気に難しくなったのとコマ数もおおよそ倍に増えたのですが、サボる癖がついてしまい、授業には集中せずオンライン授業なのでずっとYou tubeを見たりしてました。そして、一気に来た課題の提出とテストの嵐。

しかも、まさかのInternational lawを落としてしまうという愚行を犯しました。前にも言いましたが、人類の歴史上初めて日本人が海外で単位を落とした瞬間でした。そもそも大学院は勉強をするとこですが、授業を落とすなんてあり得ません。死に値する行為です。ただ、それが起きてしまいました。とても悲しいことです。もちろん、普通に生活している人からみれば「え!?その程度」と思うのですが、こちらは人生を一応は院にかけてきたはずなので、それすらクリアできないなんていうことはあり得ないことなのです。

また、為替も上がり投資していた仮想通貨も暴落し、一日当たり4ユーロ以下に抑えないと生活できません。中々大変です。たまに、「本当にどうしようもなくなったら逃げてもいいからね」という優しい言葉をもらうことがあるのですが、正直、最初の会社を逃げるのと、このプログラムから逃げるのは全く意味が違います。最初の会社は辞める前提で入ったのですが、院は辞める前提で入っておりません。ここで辞めるとなると、単なる負け犬です。生きる価値はないので即、死につながるのです。正直、6月で、あと半月で終わるはずなのですが、結構精神的にギリギリで、朝起きると辛いですし、正直最近は図書館に行くために歩くのもしんどいです。なんか、ずっと胸が痛いし吐き気がするしと最悪です。もし6/15まで持たなかったら、というのともし持ったとしても燃え尽き症候群になってしまい、パソコンすらも開けなくなる可能性もあるかもしれないので、今日、Foreign Policy Analyticsのレポートを出した後に一応書いておきます。

院は病む場所

少し前に書いたけど、ミシェル・フーコーの構造主義的に、同じ言葉には同じ構造が伴うという理論がある。そこで自分の大学のゼミの先生が言うのが「大学院」という場所である。英語ではBachelar degree→Master degreeとなるが、日本語ではなぜか大学の次は「院」という文字が付く。そして、この院を持つ単語と言えば「病院」「少年院」というのが挙げられる。では、この「院」が付く場所にはどのような共通点があるのか?これには二つあって、①社会から隔離された場所である②病んでる人が入っているということである。①は考えればわかる。院生も基本的には勉強がフルタイムだし、病人は入院している。少年院は服役している。②は病院は文字通りだが、少年院も基本的に青少年犯罪を犯す子供は精神的におかしいところがある。そして、大学院というのもわざわざ進む人は何かしら病んでいるのだ。自分は最初にこれを聞いた時に、なんじゃそりゃ?と思ったが今思うと本当にその通りというか現に病みまくっている。

自分の大学のゼミの先生はアフリカ研究者だが、なぜか修士は北大の哲学科を出ている。学士と博士は普通に地域研究なのに・・・前に理由を聞いたことがあったが、「あの頃は病んでたんです。」と話していた。哲学科で北海道にまで行くなんて病みすぎです笑。また、今の大学院の2年に日本人の女性がいる。私がこっちに来て出会った中で唯一尊敬している日本人である。結構性格は強めで、自分の人生を自分で切り開いてきた感覚がある。英語もめちゃくちゃうまくて本当にすごい。ただ、卒論の締め切り前に少し話したのだけど、そこそこ病んでいた気がする。後少しなのに辞めることも普通に頭をよぎったし、涙が出てくることが多々あったらしい。ただ、無事に卒論は通り、そのあとはいつものツンツンに戻っていた。

ここで少し余談だが、私の感覚では女子は辛くなると泣くことが多い。一方で男子で泣くというのはあまり聞いたことがない。自分も辛くても泣くということはできない。泣き方がわからないと言えばいいのか。ただ、泣いて涙を流すという行為はその後とてもスッキリする行為である。基本的に人間は何かを出すという行為に快感を覚える。排泄はもちろんだし、鼻汁や耳垢もそうであろう。男子の場合は射精に快感を伴うし、昔読んだフェミニズムの本で母乳を与えることは意外と気持ち良いと書いてあった。基本的に何かを外に出すと気持ち良いかスッキリするのだ。そして女子の、この泣くという行為は意外と感情を適切な方向に持って行く作用があるのではないかと勝手に思っている。自殺率は基本的に男子の方が女子より2倍近く多い。これの一つの理由に男子は辛いことがあると泣くという行為をすっ飛ばして、「死」を考えるからではないかと思う。もし、泣いてスッキリするという行為があれば自殺率も減るのかもしれない。そう考えると、女子は感情のコントロールが効かないと言うが、女子は感情の調整はできていると思う。そして、意外と男子の方が感情を押さえつける意味でのコントロールをしてはいるが、調整ができていない。

話を戻そう。そんな感じで院に行っている人は病む。そういえば、Twitterで一人イギリスに留学している女子がいて、とてもしんどそうに勉強を頑張っているのだけれど、ある日「消えちゃいたい」と呟いたことがあったのでDMをして少しやりとりをした。でも、今は彼女がどうなったのかはわからない。生きているかな?ちなみに、その人は東京外語大を出ており英語は抜群にできる。なのに、ついていけないのだから本当に大変だ。

休みたいけど休めない

ここ最近は休むという行為をしていない。基本的に土日も図書館に行って閉館までいる。かといって生産性が著しく乏しいのでアイドルタイムが多いのだが。そんな感じで、メンタルはきっと限界なんだろうなと自分でも感じる。後15日で終わるのはわかっているのだが、15日後を迎えている感覚がない。そんな感じである。なんとかお友達と同じテーブルで勉強しているので若干精神を保てている。いつも元気が良いウクライナ人のアンナと喋ったりする。ただ、いつも落ち着いているウクライナ人のサーシャと勉強するのがとても心地よい。彼女はとても真面目でかつ、落ち着きがあり聡明な女性だ。まだ21歳だが、とんでもなく大人である。来学期は彼女もフランスに行ってしまうので少し残念。まぁ、自分が来学期にここにいるイメージがないんだけども。

本当は1日くらい休んだ方がいいのではないかと思う。しかし、休むとあっという間に課題に潰されてしまう。それは避けたいのだ。とにかくしんどいのは変わりない。そして、勝手に思うのだが仮にこの場所に残っているとしたら、この大学院の期間はずっと辛いのではないかと考える。恐らく辛さとずっと戦うのであろう。友達と会ったり話したりすると多少は元気になるのだが、その後にどっと疲れる。恐らく、あんまり気を落としているとこを見せまいとして気を張っているからだと思う。だってHow are you?とか日本人に元気?って聞かれてI’m not goodとか「ぶっちゃけ、元気じゃないわ」とかを言う事はできない。それ、言われた方は困るしね。なので、元気なフリをするのだが、これが後に来るのだ。

本来は、このブログってエストニアの生活や大学院情報を載せまくるつもりだったが、今やただの日記と闇ブログになっている。一時期は1ヶ月に8万アクセスあったが、今は9千アクセスになっている。ブログは専門性が基本だから、雑記ブログのこれはあんまり人気がないのだろう。ちなみに、昔書いたマルチ団体批判や宗教団体批判がアクセス源であるので、そこから入った人はブログ管理人がエストニアに留学中なんて知る由もないのだ。まぁ、でもせっかく書く場所があるので記録として残そうと思う。いざとなったら遺書にもなるしね。

まさか、やりたいことをやって病むとは思っていなかった。そして、数年前では考えられないが、自殺も人生の選択肢の一つになるとは思いも寄らなかった。でも、これも身につけた生き方である。

もしかしたら、今の状態は若干鬱なのかもしれない。でも、大学の時に安井ともきが言っていたけど、「鬱は甘え」だとのこと。そんなのは心の持ち用なんだということなので、自分の人生に鬱という選択肢はなく、心の持ち用が間違っているだけだと言い聞かせたい。また、テキトーにつらねるかもしれない。

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