
[https://www.japantimes.co.jp/sports/2019/01/16/sumo/despite-injuries-kisenosato-embodied-rikishi-ideals/#.XEWB96fAM1I]
こんにちは。ゆとり系ブロガーのヨシナオです。明けましておめでとうございますですね。
新年一発目の記事ですが、悲しい話題になります。
先日、横綱・稀勢の里が引退を表明しました。日本出身横綱としては若乃花以来19年ぶりの誕生で国内で大きな話題を呼びました。
ですが、17年の春場所で感動の逆転優勝を飾りはしたものの、怪我の代償は大きく、長い間の休場に追い込まれ、あの時のような力を取り戻すことなく引退となりました。
私は大学生の頃からずっと稀勢の里を応援してました。大関獲りに苦しみ、綱取りのチャンスも何度もありました。
横綱が決まった17年の初場所の際は大喜びした記憶が鮮明に残ってます(こちらの記事)。
稀勢の里の勇姿を見て、多くの元気をもらいました。それだけに、今回の引退はわかっていたけどもやはり悲しいです。
日本人横綱
稀勢の里が横綱になった時、日本中が騒ぎました。日本人横綱としては若乃花以来、19年ぶりの誕生です(帰化した武蔵丸を除く)。土俵の上という点では貴乃花の引退以来14年ぶりですね。前回の若貴フィーバー以来という数十年ぶりの快挙です。
マスコミが騒いだ理由は、稀勢の里が生粋の日本人だったからという点が少なくないです。若貴以来は武蔵丸の引退後、モンゴル勢が横綱を担ってきました。
朝青龍、白鵬、日馬富士、鶴竜と全てモンゴル人横綱でした。
若貴の際は日本人vsハワイ勢という構図でしたが、彼らが一線を退いた後は日本人vsモンゴル勢という構図に変わってきました。
こうなると無意識的に日本人を応援したくなるのもわかりますね。ただ、モンゴル勢が非常に強いのです。こちらの記事を見るとわかるのですが、モンゴル出身力士は非常に強いのがわかります。
この勢力に対抗できる日本人力士が中々いませんでした。一時期、栃東が朝青龍に対して唯一の壁でしたが栃東の引退以降、モンゴル勢にやられっぱなしでした。
ここに出た一筋の光が稀勢の里でした。出世スピードは貴乃花に次ぐ第2位のスピードで幕内まで駆け上がりました。その後、モンゴル勢の壁に阻まれ三役と大関でくすぶっていましたが、何とか年間最多勝を獲り、初優勝を飾った後に横綱になりました。
一言でいうと、長かった。ここまで日本出身力士が育たないものかと思われました。でも、稀勢の里しかいませんでした。
品格抜群の横綱
稀勢の里の魅力は何って聞かれたら、相撲ファンは何と答えるでしょうか。
右のおっつけや土俵際の粘り等の力の部分もあるでしょう。でも、私は何よりも彼の品格を挙げたいと思います。
寡黙で少し不器用、しかし、とてもまっすぐひた向きに相撲道を貫く力士でした。
こちらの記事を見てびっくりしましたが、今回の稀勢の里の引退は武蔵丸以来、16年ぶりの通常引退だったとのことです。確かに、この間に引退した朝青龍にせよ日馬富士にせよ暴力による引退でした。情けないですね。
自分の力に限界を感じて引退を表明し、涙ながらに現役を振り返るという行為がしばらく行われませんでした。
また、現役中はテレビなどのメディアにほとんど出演せず相撲に集中していましたね。あまりそういうものに出るものではないという師匠の教えをずっと守っていました。
ですので、稀勢の里は本当はおしゃべりなのかもしれませんが、我々一般の観戦者からすると真面目で熱心な力士というイメージを抱かれます。恋の噂もあまりないですしね。
稀勢の里の中学校の頃の文集は有名ですね。「天才は生まれつきです。もうなれません。努力です。努力で天才に勝ちます。」
この言葉をずっと実現されてきましたね。土俵上でも礼儀正しかったです。
あの怪我がなければ
そのような素敵な稀勢の里ですが、もちろん相撲も強かったです。
記憶に残る取り組みとしては白鵬の63連勝と45連勝を止めたそれぞれの取り組みですね。
また、大関時代は13勝以上の場所が6回もあります。13勝以上とは優勝に準ずるような成績ですね。この頃は白鵬に対しても互角の相撲でしたし、めちゃくちゃ強かったです。
さらに強くなったのが新横綱の場所です。無傷で13日目の日馬富士戦を迎えます。
ライバル同士が横綱という地位で初めての対戦ですし、日馬富士は先輩横綱としての意地があります。ものすごい好取り組みでした。
ここで、日馬富士は彼の現役時でナンバーワンと言って良いほどの鋭くて槍のような立会いを見せます。馬力のある稀勢の里でさえも、押し込まれてしまい土俵上に転落してしまいました。
その際に左の大胸筋の大怪我をしてしまいます。その後、奇跡的な下半身の力で照ノ富士との千秋楽・優勝決定戦を制し感動的な優勝を果たしました。しかし、その代償は大きかった。
怪我は思っていたよりも大怪我で、稀勢の里の生命線である左が使えなくなってしまいました。右や下半身でカバーできると思いましたが、それもうまくいきませんでした。
バランスが崩れてしまったのですね。私は今でもあの怪我が悔やまれます。想像になってしまうのですが、あの怪我がなければ10桁の優勝も成し遂げられたのではないでしょうか?それほど稀勢の里の横綱昇進時は強かったのです。
引退会見でも怪我のことを聞かれて泣いていました。あれを観るとあの時の日馬富士をついつい恨んでしまう自分がいます。
貴乃花以来のガチンコ横綱
私が当ブログで何回か書いていますが、稀勢の里はガチンコの横綱です。ガチンコとは、八百長を一切しない真っ向勝負のことですね。
以前の八百長問題が発覚した時に引退したロシア人力士の若ノ鵬がテレビで言ってましたね。「稀勢の里は本当に真面目です。」「貴乃花親方は本当の一番です。彼はサムライです。」「貴乃花親方は本当に心が強いです。でも、他の人たちはそんなに強くない」という趣旨のことを述べてました。
稀勢の里は完全にガチンコ力士です。たまにモンゴル人同士の千秋楽の取り組みなんかを観ると、怪しい相撲を取ってますね。白鵬なんかはたまに自分から土俵を割ったりしてます。
それに比べれば稀勢の里はかなり激しい相撲です。しかも、モンゴルの横綱と戦う時はモンゴル人、闘志むき出しでかかってきます。一発で本気の相撲だとわかりますね。
かつての貴乃花に通じる部分があります。怪我がなければガチンコ横綱の勇姿をもっと見られたのに。
貴乃花はハワイ勢の、稀勢の里はモンゴル勢の大きな壁となった偉大なガチンコ横綱でした。
お疲れ様という気持ちもありますが、やはり悔しいという気持ちが出てきてしまいます。でも、この悔しさをバネにして次の横綱を育てて欲しいです。