社会人は結果が大事というけれども・・・


 

こんにちは。ゆとり系マジメブロガーのヨシナオです。

今日は社会人に求められることとそれに対しての疑問について書きます。

大学を卒業して会社に入り、何人かのお偉いさんの話を聞きました。その中で多くの人が「社会に出たら結果のみを求められる。頑張りましたというのは通じない」という趣旨のことを言っておりました。

もちろん、私もずっとそれが正しいと思っておりましたし、結果でしか人は評価をしてくれないことも十分承知しております。

ですが、先々月の大相撲を観戦していると必ずしも結果が全てではないのではないかということを感じました。

むしろ、これからは結果もさることながら個人の頑張りもしっかりと評価をしないといけなくなるのではないかと強く思っています。

甘ったれんじゃねー!という意見もあるでしょうが、是非とも皆さんも考えて欲しいです。

結果だけで見てきた日本社会

言わずもがな、日本社会はとことん結果が求められます。アメリカ社会もそうでしょうが、仕事に至っては結果が全てです。

日本の会社の評価制度は全て結果オンリーで評価されます。達成できればクリアーで達成できなければ処分です。

もちろん、これが当たり前の世界なのですがその結果この社会はどうなったでしょうか??

結果としてもっともわかりやすいのは数字でしょう。ノルマの件数やら売上高を追われている人は極めて多いのではないのでしょうか。

ただ、そのノルマが達成できなかった場合はどうでしょう。上司にこっぴどく罵られるに決まっております。それゆえに何人の人が自殺をしているのでしょうか。昨年の電通の社員もそうでしょう。

数字はとてもわかりやすい定量化された指標です。だからと言って、それを達成できなかったから「お前の頑張りが足りなかった」だの「遊んでいたんだろ!?」みたいに罵詈雑言するのは間違っております。

むしろ、過程をしっかり見る上司はどれだけいるでしょうか?極めて少ないでしょう。

2つの取り組み

平成29年大阪場所での大関・照ノ富士が絡んだ取り組みは本当に結果だけを見て良いのかを示す例となりました。

大相撲は勝てば昇進、負ければ降格という大変に厳しい世界です。ですので力士は当然ですが勝利という結果を求められることになります。じゃないと生活できません。

ですが、結果以上に大切なものもあります。

12日目の照ノ富士 s遠藤の戦いは白熱したものとなりました。

この取り組み、どうでしょうか。実力も勝る照ノ富士が勝ったのは当然かもしれませんが、それ以上にそれに食らいついて惜しいところまで押し込んだ遠藤の頑張りにも注目すべきではないでしょうか。

遠藤は結果として負けました。しかし、内容は素晴らしかったですし賞賛に値すべきものでしょう。結果以上の頑張りを見せてくれました。

一方で14日目のこの取り組みはどうでしょう。負ければ大関復帰ができない琴奨菊vs優勝争いに関係している照ノ富士です。

結果的に大関・照ノ富士は勝ちましたが場内からはブーイングの嵐でした。「モンゴルへ帰れ!」という差別的な発言まで飛び出したのです。

照ノ富士は試合には勝てど、内容は最悪でした。

そして、このことをよく捉えていたのは親方衆と相撲ファンです。勝ち負けがとても大切な相撲といえど、相撲内容も重視されますし、負けても「いい相撲だった」と言わしめる力士は素晴らしいものです。

過程にも視線を

結果が生活を如実に左右する大相撲にでさえ、勝ち負け以上の内容が求められます。勝負に勝てどお客さんを満足できない相撲は意味がないのです。

これは仕事の場面でも同じではないでしょうか。目標が達成できたら達成できたでしっかりそこまでの努力を認めてやる。そして目標が達成できなかった場合でも、そこに至る過程はしっかりと見てあげ、良い部分は褒めてやる。

努力や頑張りは定性や定量化がしにくいです。だからこそ人間力を駆使してそれらを直視してあげることがこれからの社会には求められると思うのです。

頑張ったやつがしっかりと評価される社会は気持ちがいいですし、精神病や自殺者がもっと減るのではないのかと思います。

そんな社会になってくれればいいですし、今の若い世代はしっかりと過程を見れる人になって欲しいですね。

 


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