
先日、通りを歩いていたら宗教の勧誘を受けた。刈り上げでネームプレートをつけている男の子三人組でミッション系の宗教だと思う。興味ある?と聞かれて無いと答えた。
後でアメリカ人と話していたら、それ多分モルモン教とのことだった。髪が短いのが特徴で基本的にモルモンはお酒の禁止、コーヒーの禁止、おしゃれの禁止、かっこいい髪型の禁止だからだという。
ついでにアメリカは宗教がかなり存在する国だということも教えてもらった。考えてみれば日本もとても多い気がする。ただ、一見無宗教の人に見えても宗教的な考えをする人も実は多い。むしろ、お前宗教に入っているんじゃないか?と疑うべき人がいる。
生きてればいい事があるという宗教
実は、この「生きてればいいことあるよ」という考えを持つ人は多い。
例えば、誰かが死にたいと思った時に「生きてれば必ずいい事があるよ」と励ます人も多いのではないか?ただ、正直なことをいうとこの生きてればいい事があるというのは事実ではない。
私も一世代も生きて気づいたが、生きてれば嫌なことの方が圧倒的に多いのだ。なのに、なぜか「いい事がある」と信じてやまない人がいる。そりゃ例えば休みの日にお金をかけて旅行をすれば「いいなぁ」と思うことがあるだろう。ただ、マクロな目で見れば良いと思うことよりも嫌だと感じることの方が多いのだ。
なのに、多くの人は「生きてればいい事がある」と信じている。これは立派な立派な宗教である。
宗教とは何か
宗教は科学的に説明できないことを断定して「真理」として伝える。倫理の面が非常に強くて例えば「隣人を愛しなさい」とか「赦し」なんかもそうであろう。正直、隣人を愛することにより何が良いのかわからない。人を許すことにより何になるのかは科学的に説明できない。
なのに、宗教では説教くさくそのようなことを説くのだ。日本の宗教なんかもそうで、「家族を大事にしなさい」とか「親を大事にしなさい」とよく言われる。私の元父も自分さ散々人種差別発言や人の悪口やら嘘をつきまくっていたのに、それを指摘すると「親をバカにするな」という宗教家と全く同じことを口にしていた。まさに、非科学的な自分よがりの考えこそが宗教であるということだ。
宗教のいう教えや励行の実践はまさにこの科学を無視した指導者の独りよがりの考えである。なので、結果は必ず保証されない。結果が必ず保証されないのに、説教を垂れる事ができるのが宗教である。
生きればいい事があるというカルト思想
なのでこの「生きていればいい事がある」という「じゃあ、それを証明して見せて!」という問いに全く答えられない考えを持っていたり、それを人に押し付ける人も立派な宗教家である。
そして、不思議なことにそのような事を人に伝える輩(Twitterに非常に多い)は自分自身が成功者である事が多いのだ。「私もアメリカに来たときは最初うまく行かなかったが、今ではうまく行くようになったのでみんなも大丈夫!」なーんて言いながらフォロワーを増やしていくのである。
私的にはこのような科学的な根拠がない「生きていればなんとかなる」などという甘い言葉を言う奴は要注意人物である。カルト宗教である。
このようなカルトな思想を持つ人が非常に多いのだ。先日の自殺報道でもあったが、「死にたい」というのは人の欲求の一つであり願望のひとつなのだ。それをよくわからないカルトな思想で否定するのは何様?と思う。
人は必ず死ぬ。遅いか早いかだけである。人が死を選び死を実行するのならば尊重するのが人間の在り方というものだろう。「生きてりゃいいことある」なんていう宗教にハマると、生きることが余計に辛くなったりするのだ。自分の心の声に従い、本当にダメになったらそれはその時であるというのが人間らしさではないか?