
人間誰しも理想があり、社会に対して自分の理想を反映させたい生き物である。一方でその理想に立ちはだかるのが現実であり、どれだけ理想を思い描いても現実はそうはいかない。
私自身も結構な理想主義者ではあるが、学問なんかも学んでいるうちに例えばリアリズムとリベラリズムに甲乙つけがたいなと感じるようになった。どちらも利点と欠点がある。
それでも理想に走りたいという気持ちは尊重されるべきであろう。一方で大事なのはやはりバランスなのだなぁと考える日々である。
様々な理想と現実
世の中には多くの理想と現実がある。
例えば愛かお金か論争。これは究極的に理想か現実かという話である。理想を言えば、愛さえあればお金は少なくても幸福度は得られるだろう。ただ、実際問題そんなに甘くはない。やはり年収が低かったり定期収入がないと愛とは言っていられないのが資本主義社会だ。また、年収が高い方が結婚後の生活もやや安定する。要は定期収入がしっかり確保できれば愛を大事にできるが、それがないと愛だけではきつい。
他にも外見か中身かという問題もある。理想を言えば人を外見で判断せずに中身で見たいだろう。就活だって恋愛だってそうである。だが、現実は顔がいいひとが得をするのがこの世の中である。いくらプラスサイズモデルが頑張ったところで、ナイスバディのモデルには勝てないのだ。年齢も然り。女性で35歳過ぎて婚活に必死になっている人を見ると少し痛い気がする。理想だけがやたら高い。でも残念ながらいい男は若い女の方へ行くのだ。これが現実である。
学歴フィルター問題もあった。学歴よりも実力や人間力を就活で見るべきだという問題。理想はそうだが、現実的に学歴で見た方が早いしミスも少ない。しかも日本は欧州に比べればかなり緩い気がする。ヨーロッパは学歴がめちゃくちゃ大事よ。大学院に行くのなんて普通だから。所詮こんなもんよ。
現実を見ながら理想を求める
なので、大事なことは現実を見ながら理想を追い求めることだ。
もちろん、外見差別は無くした方がいいが、現実的に外見で得するのであれば外見を磨くのだ。ジムに行ったり整形したり、エステをすればそれなりに保つことができる。
現実だけを変えたいというのは気持ちはわかるが、現実に乗っちゃう方が良いこともある。要はどう生かすかなのだ。乗っちゃって楽な場合は乗ってしまったほうが良いだろう。
あまり理想だけを言っていると、少々痛いやつに思われるかもしれない。また、クレクレ君になるのかもしれない。
社会に理想を求め個人は現実と対面する
私の最終的な結論はこうだ。
社会に対しては理想を求めても良いだろう。平和、近隣友好、優しい社会etc。一方で個人では現実を見た上で妥協できるとこは妥協して乗っかった方が良いだろう。
高い年収、良い外見、良い学歴等々これらを身につけた方が得であることは間違いないからだ。そして、これらの現実的に「良い」とされるものを身につけた後で真に理想を求めるという順番の方がベターな生き方だ。
理想は保ちつつ、現実にうまく立ち向かうのがこれからの生き方ではないか。