こんにちは。ゆとり系社会不適合者のヨシナオです。今日は悪口についての記事です。
悪口って一般的には「言ってはいけない」ものですよね。特に会社員等の組織の中ではなるべく悪口を言わないで、八方美人のように振る舞うのが善とされます。
でも、それって本当にいいことなのでしょうか?
僕は多少の悪口や笑いのための悪口ならば日常的に言っていても問題ないと考えております。
悪口言っている人の方が人間らしいじゃないですか。むしろ、八方美人ってなんか生きづらくない??
人は必ず他人に不満を持つ
「他人の悪口は言ってはいけない」という常識とは裏腹に、人には「他人に対して100%好意的であることはない」という真理があります。
どんなに親友でも、どんなにラブラブなカップルでも、どんなに円満な夫婦でも相手に対して微塵たりとも不満がないということはありえません。
それが人間ってもんです。これはおそらく古今東西共通の真理ではないでしょうか。
人がそれぞれの個性や考えがある以上は、どこかで相容れない部分っていうのが出てきます。
もちろん、友達や恋人どうしならばその割合が少なくなることもあるでしょう。でも、会社のように半強制的に知らない人と同じ空間にいればほとんどの人が誰かしらに不満を抱くはずです。
会社で周りに不安なく、仕事を遂行できている人っているのでしょうか。
日本人は特に我慢する傾向があるので、ストレートに意見を伝える国の人たちよりも不満を抱えやすいのかと考えます。
その不満、抱えながら生きるのはしんどいですよね。だから、そういう時は言えばいいんじゃないかと思います。
悪口を言うことで良いこともある
実際に、職場等で本人に直接だったり本人がいないところで悪口を言うことで得られるメリットだってあります。
ストレス発散になる
人は不満を溜め込んでいるとストレスになります。
ストレスは自分自身にとって良くないものです。
もし、悪口を言うことによりストレスが軽減できるのならば、言っても問題ないです。
人は他の人に語ることによってスッキリすることがあります。基本的に何かを出すと気持ち良かったりスッキリするのが人の性のようです。
もし、モヤモヤが溜まっているのなら、それを言って発散するのも良いのかもしれません。
僕は職場で、悪口を言われることがありますが、笑って受け流しています。言う人のストレスがそれで解消するのなら、そのお役に立てて嬉しいと言わんばかりに。なんか言われても気になりませんしね。
共感を生む
人の悪口を言うことで、共感を生むこともあります。
「あいつって〇〇だよね」って言うと「そうそう!」ってなることが多いと思います。
そこで、共感が発生します。人間生活なんてこんなのザラですし、人の仲なんて誰かの悪口がきっかけで生じたりもします。
だから、思い切って他人の悪口を言うのも構わないと思います。
建設的批判になる
もしかしたら、悪口が当人にとっては課題となるべきことである可能性も十分ございます。
喋り方が変だとか、清潔感がない、クサイ等は僕的にはかなりプラスの批判です。もし、誰かに直接言われたりしたら、克服すべき課題になるかもしれません。
そのような場合は、本人に言ってもいいのかなとも思います。当人に心の余裕があれば、直接言ってもらいましょう。
もちろん言ってはいけないこともある
悪口の中には当然、言うべきではないこともあります。人権に明らかに違反することや、その人の存在を否定することです。
「死ね」「不要」とかは言ってはいけないでしょう。私の職場では毎日のように言ってくるオバさんがいましたけど、あんまりよくないんじゃないのかなと思ってました。
後は、人権に関することや生い立ちなどですね。変えられないものを言ってもしょうがないですし。
なので、悪口をいう時は人として最低限のことは考えてほどほどに言うのがいいでしょうね。
今日、ある掲示板で落ち込んでいたところです。それは割愛します。気になってるのは、羽生選手ファンは、誰の悪口も言わないと言われた事です。もちろん、他の選手の事なのですが。でも、そんな事ってあり得ますか?誰だって嫌いな人はいますよね。羽生選手ファンの私としては、(この人、今まで一度も他人の悪口言った事ないのかな?悪口言わないなんて言ってる方が、よほど偽善者だと思うんだけど。)と思いました。人間、神様ではないのだから、そんなに綺麗な心の持ち主なんていないと思うのですが。
フェイ様
素晴らしい人間のファンであるからといって自分も素晴らしい人間であることは有り得ません。勘違いも甚だしい人もいるものですね。
素直な人の方が好感持てますよね。