
12月になりました。今年もあとわずかで終わりです。一年あっという間ですね。特に30になってからはあっという間に感じます。
私は憧れの留学に来たのにもかかわらず、プラスになるどころかむしろマイナスになっており、人生が一気に終わりに向かってます。
師走になるとこの一年を振り返ると思います。そして、来年新しく何か目標を定めて最初の数日だけ向かうのでしょう。
生きる意味って
少し前にプロ奢ラレヤーが確か、自殺願望がある人ほど生きる意味を考えがちという趣旨のツイートをしていたのを記憶している。
これは言い得て妙であり、おそらく自殺をしてしまう人は自分の生きる意味を考えて、それがないと思い、自殺に至るのだろう。
この人は結構、本質的なことを言っていたりする。上記のツイートはまさに自分にもぐさっと刺さった。まるで心を見透かされているようだ。
おそらく12月にもなると、この1年で自分は何をしてきたのだろう?と考える人も結構多いと思う。ただ、プロ奢の意見から推察するに、そういうことを考えない方が気楽に生きられそうである。
ただ、人間常に考えるものである。毎年人生の生きる意味を考えるのも悪くはなかろう。
生きること自体が悪である
Twitterなんかを見ていると、綺麗事を述べている人がたくさんいる。私なんかもその一人であり、綺麗事を書いては、いいねがいくつもらえるかをただ単に楽しみにしている。ここ最近はコンスタントに10いいねくらいである。
ただ、そもそもを考えると色々綺麗事を述べているが、人間はそもそも悪である。そして生きていること自体がとても悪いのだ。人間は人権が保障されているし、全て世の中人間の為にできている。鳥は肉になるために生きているし、牛は肉になるために生きている。豚も肉になるために生きているし、羊も肉と服になるために生きている。
人間がいなければ彼らは確実に好きに生きられたはずである。しかしながら、人間の存在のせいで殺されて肉になっている。
そして、人間はそれを笑顔で食べているのだ。人間がいなければ動物の悲鳴を聞くことなく生きられる。
しかし、人間は今や増え続けている。悪の存在が増え続けているのだ。
また、人間の中にも階級がある。最も尊いのが子供であり次は女性である。また、最も軽蔑される存在はオジサンである。オジサンはその存在自体が、害悪である。存在がセクハラであるし、人に命令してばかりで役に立たない。必要のない存在だ。存在自体が悪だ。
悪は取り除く
悪いものは極力省くのがこの世の生き方である。悪いものをそのまま放っておくと害を被る人が出てくるのだ。
ただ、国家がガス室等で悪を排除することはできない。ならば、どうするか?もちろん自ら去るのだ。資本主義社会で稼いだお金は全てどこかに寄付をして、あとは自ら去るのが最も良い方法である。
先ほど、オジサンはこの世の悪だという話をした。確かに、私の周りのおじさんも、いい奴よりもクソな奴の方が圧倒的に多い。
私自身、昭和のオジサン文化を嫌い、打倒おじさんを掲げてきた。しかし、自分もあと数年でオジサンだ。自分が最も忌み嫌う存在に自らなるのだ。これは耐えられないほどの苦しみである。
ならばどうするか?もちろん自分からおじさんになる前にこの世を去るのだ。これはこの世の為であり、地球の為である。
自ら悪を取り除くという判断により、世界を救済するのである。この考えをもっと多くの人に広めていきたい。