
家から出られない状態
こんにちは。ゆとり系ブロガーのヨシナオです。
みなさん、休日は何をしていますでしょうか。買い物をしたり家事をやったり遊んだり読書をしたりと答えは様々でしょう。
中にはゴロゴロしているという人もいるでしょう。
週に5日以上働いてせっかく休みなのだからゴロゴロしたりぼーっとしたい気もわかります。
ですが、仕事も何にもしてなくいわば自宅警備員的な存在な人が一日中家でゴロゴロしているのは危険です。
そういう人は早急に仕事を見つけるべきですが、ニートだけじゃなく一般の労働者も休日であれなるべく家にいない方が良いです。なぜでしょうか。
家は人をダメにする
家とはどんな場所でしょうか?
ズバリ言いましょう。家とは人を怠惰にさせるための空間です。
自然界を考えてください。動物たちは日夜、生死を争って生きております。草食動物なんて最もたる例で、生まれてから死ぬまでひたすらに逃げ回っております。
巣を作る鳥たちでさえも同じです。巣があっても天候やら天敵やらにやられてしまう可能性が多々あります。
一方、人間はどうでしょうか。もちろん巨大地震などの大災害に多くの家が無事であることはありえませんが、普通の家は基本的な雨風雷などは防げますし防犯をすれば天敵も入れません。
この動物界の法則に反した結果人間はどうなったでしょうか?
動物的な本能を忘れてしまい、怠惰に走ってしまったわけです。家とは人間を他の動物と明確に区別した産物なのです。
労働は気晴らし
さて、そんな人間を貶める家という道具がある中で賢い人類は「労働」を生み出しました。
「労働」という言葉は端的に賃金労働を意味しますが後ろの漢字で表わした「働く」という言葉の方がしっくりきます。「はたらく」は元々「はた(端)」と「らく(楽)」に分けていたそうです。つまり、周りの人を楽にさせようという意味らしいです。
これがいわゆる人間の社会的な活動ってやつですね。働きに出るということは周りの人間を楽にさせてあげる社会的な行動なのだと。こうして人間社会は秩序立っているわけです。
というと、働かずに家にいるということは人間社会に参加してないってことになります。なんとも罪ですね!
そして、家にばかりいる人間は社会から隔離されて異端児となるわけです。
かの有名なフランスの哲学者であるパスカルは人はなぜ働くのか?それは気晴らしのためであるという趣旨のことをおっしゃっております。
人間は家にずっといると、あれこれ悩んだりしてロクなことがないので気晴らしのために働いたほうが良いと言っているのです。これは中々深いですね。労働なんて気晴らし程度でいいのです。逆に労働が原因で死ぬのはもったいなさすぎます。
「今日もロクなこと考えないために一丁働いてやるかー!」的なノリで良いのです。
さっさと家を出よう
ということで皆さん、寝る時や天候がめちゃめちゃ悪いとき以外は外に出ましょう。家なんかいるもんじゃありません。
私自身家で読書しようとも勉強しようとも考えたことは6億回くらいありますが、できた試しがありません。
だったらカフェでコーヒー飲みながらした方がマシですね。
家以外の方が捗ります。
そして、自宅警備員の人はさっさと仕事を見つけてやりましょう。別にレジ打ちでも工場の単純作業でも良いのです。長く続かなくても良いのです。家にいるよりかはずっとマシです。
たまにテレビでニートの人を見かけますが、やはり家の外で社会的な行動をしてないせいか自分の身なりも気にせずひっどい容姿をしている人がほとんどです。自分では気づいてないでしょうけどね・・・
気晴らしに働けば自然と人に見られる意識が働きますから、ニート臭に溢れた姿は次第に消えます。
そんなこんなで、家は皆さんを腐らせる場所なのです。一刻も早く家を飛び出しましょう。