
人はある場所で生まれ、ある場所で死んでいく。住む場所を転々とする人やずっと止まる人がいる。どこに住むかという問題はその人の価値観を覗いているようで楽しい。自分の意志でどこかに住む人や、自分以外の意思により住む場所が決められてしまう人もいる。まさに人それぞれだ。
自分もどこに住みたいかどこに住み着きたいのかを考えることがあるが、自分の今のところの結論は、住む場所には永遠に満足しないというものだろう。
価値観は変わる
当たり前だが、生きて仕事をし様々な人と交流したり本を読んだりする中で人の価値観は形成される。そして、経験の量によって価値観は様々に変化する。
当然、このような価値観がどこに住みたいという気持ちも変えるのだろう。逆に、住みたいとこが完全に決まっている場合は、恐らく経験したことの大きさが自分の中でパラダイムシフトを起こし、地盤が揺るぎない価値観を形成したのだろう。
それか、経験が少なくて殻を破るのが怖いかのどちらかである。よく、地元にずーっといるヤンキーがいるが、ヤンキーはまさにそうで、自分の知り合いにしか威張ることができないので、知り合いがいない場所に飛び込みコミュニティを形成することができない。故に、地元に住み着きあくまで拡大範囲をじわじわ隣の街まで広げることしかできないのだ。そうして自分をヌシだと勘違いする。
ただ、それ以外の人は旅行なり読書や転勤なりの経験がないと住む場所の価値観は形成されないはずだ。
外国も含めてどこに住みたいのかはその人の考えを非常に大きく反映している。逆に言えば、例えば恋人や結婚相手探しの際に「将来どこに住み着きたいのか」「その理由」を聞けばその人の価値観を聞き出すことができるのだ。
隣の芝生は青い
自分の場合は都会よりも自然派で清流のある近くとか、お水は常に湧き水を飲んで暮らしたいと考えているので、どちらかというと都会から離れた場所が良い。現在、海外に暮らしておりしかも昔から想いを寄せていたEU圏だが、将来ここに住みたいとはあまり思わない。何となく平地ばかりでビミョーなのと温泉があって欲しいと思ってしまうからだ。教育システムや政治システムは良いと思うが、実際住んでみると何とも言えない。それならジョージア🇬🇪の方が良いかなと思う。
自分の場合、どこに住んでいても常に隣の芝生は青く見えるのだろう。例えば念願の北海道に住んだら、今度は沖縄が恋しくなり、今度は東京いや大阪と次々に住みたいとこが変わると思う。もちろん家族等や仕事の事情があるので自分の意思だけでは決められないが、おそらく、ずっと他の場所にあこがれるのだろうなと考える。自分はそんなものだ。
なので、住む場所も大事だがそれよりもそこで経験ができることに舵を切って暮らす方が良いのかななんて考える。でも、山に住みたいけどねぇ。