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こんにちは。お久しぶりですね。ゆとり系マジメブロガーのヨシナオです。
少し前に、ウチの隣の家でちょっとした出来事がありました。元々、旦那方の母親(祖母)と旦那の妻、子供二人で過ごしていたのですが、嫁姑問題やら祖母が孫に対しての指導が厳しかったりやらで突然、おばあさん一人を残して残りの家族が出て行ってしまったのです。
そのおばあさんは、近所の公園で私の父親に会ってこう言ったそうです。「あなたのところの家族はいいわねー。仲良くて。」と。
私はこれを聞いて、人生は最後が一番大事なんだなと心から実感しました。
最後がダメだと死にきれない
人は必ず死にます。これは100%です。自分自身全くその実感がないですし死なないものだと今でも思っております。
でも、実際は必ず死ぬのです。近頃は交通事故やらテロやらといった人災的な理由で死ぬことも多くなりましたが、本来人間は生老病死で老いや病によって亡くなるケースがほとんどです。
亡くなる年齢も人によってまちまちで、残念ながら若くしてこの世を去った人も多くいます。一方で私の祖父のように93歳まで長生きした人もいます。
もちろん、早いか遅いかというのも重要なファクターであるのですがそれ以上に、自分が生きた人生が納得できたのかということの方が何百倍も大切でしょう。
そして、死ぬ時に納得できていなかったら、それはそれは残念な人生なのではないかと考えられます。あれをやり残しただとか、あいつとは喧嘩したままだとか、死ぬ間際になってそんなことが頭によぎったらその人の人生は不幸なものになるのではないでしょうか。
思い出すのは演歌歌手の森進一と作詞家の川内康範との「お袋さん騒動」ですね。川内氏の詩をパクったとして森進一は一歩的に絶縁宣言を受け、和解をすることなく川内氏は亡くなりました。これをワイドショーで見ていて私は「あぁ、川内氏の人生は最後の最後で良からぬ方向に行った」と嘆いたのでした。
やはり最後は納得して死にたいものです。
終わりをよくするには過程が大事
「終わり良ければすべて良し」という言葉は、最後の結果だけが大事なんだと受け取られますが、そんなことはないと考えます。
むしろ、終わりをよくするにはいかにそれまでの過程を重視するかが問われるのではないでしょうか。
冒頭の近所のおばあさんの話もそうですが、死への過程で何かしらの障害があり、それをどう乗り越えて円満な人生を送るのかが大切なのです。
過程をしっかりと経てこそ結果があります。確かに、終わりよければそれまでのマイナスな出来事もプラスに変えられるのだとも受け取られがちですが、人生は因果応報です。すべての結果には原因が付きまといます。
逆に言えば、いい人生を送った人はそれなりの要因があったからこそいい人生を送ったのではないでしょうか。
結局、今が大切
つまるところ、人生は終わり良ければすべて良しなのですが、その過程も同等に大切です。そしてその過程とは今のことに他なりません。
大学に入った頃、学部長が「The future is now」と言っていたことを思い出します。直訳すると「未来は今だ」ということですね。
結局、未来というのは今の自分の延長にあり今の努力以上のものは得られないという意味ではないでしょうか。
私は今でもこの言葉は至言だと思っていますね。当然、今のしょうもない自分は過去の自分の結果ですしこれからの未来は今の自分次第だとも思われます。
となると、終わりが大切といえど人は今の生き方を問われているのではないでしょうか。
「終わり良ければすべて良し」ですが、そのためには毎日をしっかり生きなくてはならないのです。
自分自身に言い聞かせなくてはなりません。