
ここにきて急に終わりへのカウントダウンが始まった。普通は、カウントダウンが近くなる程、人は焦り頑張るものである。
しかし、自分はそうならない。むしろ気が抜けてしまい、なるがままになれと思うようになった。そして、無事に終了した場合、怠けていた自分に最大限の罰を与えようと思う。これが懲罰主義という生き方である。
向き不向きとやる気
人間誰しも向き不向きがある。何かが得意な人がいても、同じことが得意じゃ無い人もいる。これは本当に人それぞれだ。
ただ、基本的に向き不向きは20歳前までに見つけるべきである。20歳を超えると人は基本的に成長することはなく、退化するのみである。
いわゆる高学歴の人が人生に成功している確率が高いのはそのためである。高学歴の人は、高校のあたりにある程度人生の要領を掴んで、その後の人生の計画を立てているのだ。だからこそ、それに乗ってうまく行っている。
私は例えば30超えて人生逆転した人なんて聞いたことがない。たまにいるが、そういう人はほとんどの場合ずーっと長く努力をしてきて、それが遅咲きとして咲いただけである。基本的には10代でほぼ人生は決まる。
そして、その向き不向きを同定できなかった場合、やる気でカバーするしかない。ただ、そのやる気がない場合はどうしたら良いのか?正直、言うがどうしようもないのだ。
あとは他人に迷惑をかけずにひっそりと生きていくしかない。
懲罰主義
動物の世界には人権のようなものがない。なので、動物は弱ければ死んでしまう。そうやって自然界は成り立ってきた。
人間の場合は、弱くても死ねない。死ねさせてもらえないのだ。これは非常にまずいことである。なぜならその結果、人口は増えてしまい、食糧不足に陥り、戦争も始まり、他の動物を絶滅に追いやってしまうからだ。これはいただけない。
そもそも、やり直せる人生というのが間違っている。もちろん、不可抗力によって人生が思わぬ方向に行ってしまった場合、その人はやり直す権利がある。しかし、自分で何かを決めてやり遂げられなかった場合、その人にやり直す権利はない。
そういう人がそのまま生きると、ずーっと同じことを繰り返して自分にとっても周りにとっても迷惑なだけである。じゃあどうすれば良いのか?
罰を与えるのだ。自分で自分をどんどん闇に追い込む。そうして俗世間に戻れないようにすれば良い。そうすれば、負けたら終わりという本来の動物らしい生き方だできるのだ。
負け犬が調子乗って生きてはいけないのだ。