「怒鳴られたから射殺した」報道に対する違和感


こんにちは。ゆとり系ブロガーのヨシナオです。

今日は少し前に話題になったニュースについて意見します。

4月11日に滋賀県で警官が警官を銃殺するという事件が起きました。

世も末だなーと事件のニュースを見ながら私は考えていたのですが、色々なニュースを見ている間に、様々な違和感が胸に湧いてきました。

殺人事件なので、当然加害者が悪いのですが、加害者だけが一方的に悪いとされる報道にクエスチョンマークが湧いたのでした。

※本記事は加害者の証言が事実であるという元で書いております

マスコミの報道の仕方

今回の事件ですが、多くのマスコミが「容疑者は怒鳴られたからやったと供述しています」と事件の動機を説明しています。

そして、亡くなった方がいかに正義感に溢れて良い人だったかの映像を流すのです。

この映像だけを見ると、この犯人は何て酷いのだ!たかが怒鳴られただけで拳銃で撃ってしまうなんてあり得ない!という感想を抱きます。

実際に、ヤフーニュースのコメント欄などもそのようなコメントで溢れかえってました。

「近頃の若者はすぐキレる」

「忍耐がない」

「たかが怒鳴られたくらいで」

「若手が怒鳴られるのは当たり前」

「期待しているから怒鳴る」

このようなコメントが散見されるのです。

私はこれらのコメントを読みながら、徐々に違和感しか湧かなくなったのでした。

怒鳴るのは全然問題ないのか

今回の事件は、警官が人を守るために所持する銃で罪のない人を射殺し、しかも相手が同業者だったという点で、多くの目を引くニュースになっています。

確かに、殺人は最悪です。人の命を奪っているのですから、言い訳も何も通用しません。

せめて、思いっきりぶん殴るくらいで済ませば良かったのではないかと思います(殴っても当たりどころが悪ければ死ぬこともありますが)。

そうすれば、殺人者として残りの長い人生を棒に振ることはなかったでしょう。そこはこの19歳の警官のバカだった部分ですね。

しかし、他方で加害者の供述が事実であるなら、怒鳴った方も非があったと言わざるを得ません。

報道の仕方は「たかが怒鳴られたくらいで射殺」というイメージを植え付けるものでしたが、この怒鳴られたくらいでというのは違う気がします。

私の経験上、怒鳴られた人は間違いなく萎縮します。怒鳴られて喜んだり気合が入る人って見たことがありません。特に年齢差がある場合や先輩後輩の関係の場合は顕著です。

日本は基本的に目上には歯向かえない社会ですから、目下の者は怒鳴られたら「はい」とそれを受け入れるしかありません。そして、怒鳴られるということはとても辛い事です。

人によっては、怒鳴られた事で憎しみを抱くのも珍しい事ではないし、不思議なことではないでしょう。

例え、今後の成長の為に怒鳴ったとしても、それが萎縮の原因になったら意味ないですよね。もっと他の手段を選ぶべきだったのではないでしょうか。

なぜマスコミは一方的に加害者を悪くするのか

今回の事件で、マスコミはいかに加害者がヤバいヤツなのかということを分析しております。精神異常じゃなかったのかやら、生真面目すぎる性格が災いした等です。

一方で、怒鳴ったことには深く追求しません。これはなぜでしょうか。

当然、マスコミの中年世代も若手に毎日怒鳴っているからでしょう。自分のしていることを否定したくないのです。

怒鳴ることは組織内で中年世代が担う仕事だと思っているんでしょうね。困ったものです。

あと、もう一つ思うのですが若者も多少は反抗してもいいのではないでしょうか。フィジカル的にも強いわけですし、机を蹴るくらいで威嚇しても問題ないと思われます。

黙っているとそこをうまく利用して攻撃してきますからね。

身を守るための攻撃性も大切な気がします。ストレス溜め込んで殺人を犯すよりも全然良いはずです。

 


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